Faculty of International Studies
更新日:2018年06月20日
【国際学部】リレー?エッセイ2018(7) 石井久生「アンソレベエーレおじいちゃんの思い出 その後」
今年の3月上旬,ベーカーズフィールドを訪れた。目的はバスク系牧羊企業の現地調査だが,前回エッセイに書いたアンソレベエーレおじいちゃんの墓参りもしたかった。前回のエッセイを未読の方のために簡単に説明すると,アンソレベエーレおじいちゃんはバスクからの移民の子孫で,地元の歴史家でもある。彼がベーカーズフィールドのバスク人についての本を出版していたことから知り合い,現地調査で大変お世話になった。しかし2年前に突然他界した。今回出張で訪れたついでに,墓前でこれまでのお礼を伝えたかった。
ベーカーズフィールド国営墓地
ロサンゼルス国際空港に到着したのが午前9時ごろ。車を借りて,約200キロメートル離れたベーカーズフィールドに到着したのは正午ごろだった。3月初めとはいえ日中のカリフォルニアは初夏の陽気だ。乾燥の厳しいサンフォアキンヴァレーの南端部に位置するベーカーズフィールドでは,正午の気温は25℃近くに達していた。その日の朝に出発した直前の調査地ネヴァダ州のエルコでは,早朝の気温が氷点下15℃だったので,あまりの気温差にめまいがした。
郊外の牧羊企業で聞き取り調査を済ませ,予約していたホテルに到着すると,ロビーにはおじいちゃんの友人2人が待っていた。両名ともにおじいちゃんより少々若い70歳代と推測される紳士で,バスク人だった。彼らとは今回の調査前から連絡を取り合っており,この日の夕食を約束していた。向かったのは地元のバスクレストランWool Growersだった。ここはもともと羊毛生産者組合の併設食堂だったが,この地域の牧羊業や羊毛生産業はバスク人の寡占状態であったことから,組合併設の食堂も必然的にバスクレストランになったのである。現在では組合から独立しているものの,伝統的バスク料理が安価で大量に堪能できるため,バスク人のみならず地元市民からも高い評価を得ている。テーブルにとおされ着席すると間もなく,いくつもの料理がテーブルを埋めた。食事をとりながらおじいちゃんの思い出話しに花が咲いた。おじいちゃんの死があまりに突然であったこと,ご婦人は一時期落ち込んでいたが現在では立ち直っていること,お孫さんたちも成長して活躍していることなど,友人らからこと細かに説明があった。私としてはご遺族が元気であることが確認できただけでも満足だった。
このレストランは調査で来訪するたびに立ち寄っているが,今回これまで食べたことのない料理が出てきた。動物のどこかの部位をワインで煮込んだもののようであったが,質問して帰ってきた答えは,なんと「子羊の睾丸のワイン煮」だった。ベーカーズフィールドは長距離移牧の冬の滞留地であり,冬の終わりに雌羊はこの地で出産する。生まれたばかりの子羊には長めの尻尾がついているのだが,その尻尾はだらりとぶら下がっているだけで虫を追い払うような機能はないうえに,そのままにしておくとフンが付着して感染症のリスクが高まるという理由で,すべての子羊は生後間もなく尻尾を切り落とされる。それだけでも残酷に思えるのだが,さらに大部分の雄羊は生まれて間もなく睾丸を切り落とされてしまう。成長した雄羊の肉は独特の匂いを発するために食用肉には向かず,そのためひと握りの種付け用の雄を除いてすべて去勢されてしまう。そうして去勢された子羊の睾丸はこの季節限定で入手できるが,市場に一般に出回るような食材ではなく,牧羊に従事するバスク人の間だけでこの季節限定で食されてきた。いうなればこの料理はベーカーズフィールドのバスク人にとっての「春の味覚」なのである。こうしたうんちくを聞きながらほおばった子羊の睾丸はかすかにほろ苦く,確かに春の味がした。
食事を共にした1人が翌日おじいちゃんのお墓まで同行してくれることになった。翌朝,ホテルのフロントで彼に再会すると,彼の車で墓地に向かった。ベーカーズフィールドの市街地の外には,家畜用飼料となるアルファルファの畑や,オレンジやナッツ類の果樹園が広がる。その間をぬうようにおじいちゃんの友人の車は走った。車で30分ほど走り,墓地に到着した。戦没者慰霊施設も兼ねた国営墓地だった。おじいちゃんは朝鮮戦争に従軍したことが縁でそこに埋葬されたそうだ。墓地はうねうねと起伏する丘陵地の中腹に位置していた。同じような大きさの白い墓標が整然と並んだ墓地だった。探すのがさぞや大変だろうと心配したが,墓地検索システムがあるそうで,管理棟の入り口に置かれた検索用PCに名前を入力したら,瞬時に位置と番地が表示された。それをプリントアウトしておじいちゃんのもとへ向かった。墓標には難なく行き着くことができた。新しく小綺麗ではあるが,小さくて物悲しい印象の墓標だった。墓標の前にしゃがみこみ,手を合わせ目を閉じ,たむける言葉をさがした。脳裏には,おじいちゃん,ご夫人,お孫さん,その他おじいちゃんのお陰で出会うことのできたベーカーズフィールドやバスク地方の人々の顔のイメージが次々と浮かんでは消えた。しかし,言葉としては「お世話になりありがとう」といった簡単なお礼しか浮かんでこなかった。手を合わせていたのは1分ほどだったと思う。目を開き立ち上がると,後ろで私を眺めていたおじいちゃんの友人が,「もういいのか?」と驚いていた。こちらでは墓前で長々と語らうのが一般的のようであるが,私は「ありがとう」を伝えられただけで十分だった。
墓参りを済ませ墓地の周辺を歩いていたところ,草むらに立てられた看板に驚いた。そこに描かれた生き物はガラガラヘビ,「毒ヘビ注意」の看板だ。これまで毒ヘビの存在など気にすることもなく羊飼いらと荒野を歩いていたので身震いがした。毒ヘビは確かに物騒ではあるが,時に神の使いとしてあがめられたり,信仰の対象となったりもする。ここからそれほど遠くもない現在のメキシコ中央高地にかつて栄えたアステカでは,ヘビの姿をした神ケツァルコアトルは人々に豊穣と文明をもたらすと信じられ崇められた。ここカリフォルニアでガラガラヘビが有難いものとして崇拝されているかどうかは知らないが,せめておじいちゃんが安らかに眠れるよう守ってやってほしいと願ってやまなかった。
墓地の草むら「毒ヘビ注意」