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国際学部

Faculty of International Studies

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国際学部ニュース詳細

更新日:2025年12月22日

学生の活動

【国際学部】学生広報委員会による国際基礎演習_B講演会レポート

 皆さん、こんにちは。国際学部広報委員会の内藤美咲です。

 11月20日に私は「国際基礎演習B」の講演会に参加しました。今回は、現在ケンブリッジ大学アジア中東研究科教授のバラク?クシュナー(Barak Kushner)先生をお招きし、「ラーメンから考える日中関係」というテーマでお話を聞かせて頂きました。

 

 クシュナー先生は、日本?中国?台湾に滞在されていたことから、現在は東アジア近現代史を中心に研究されています。

 中でもご著書『ラーメンの歴史学』に代表されるように、身近な食べ物を通して世界の動きを考えるご研究が印象的です。それだけでなく、「日本の戦争犯罪と中国」「帝国プロパガンダ」についての研究は社会的にも高く評価されています。

 今回は、ラーメンという一つの食文化から国際関係を紐解くクシュナー先生独自の研究について貴重なお話を伺いました。

 

バラク?クシュナー先生

【ラーメンについて研究し始めたきっかけについて】

 30年以上前、クシュナー先生は初めて日本を訪れました。先生は、当時日本食に苦手意識を持つ中、初めて「ラーメン」を勧められ衝撃を受けられたそうです。温かいスープに麺が浮いたこの料理に対して、日本人はなぜこのような食文化を持つのか?と興味を持たれたとのこと。歴史を見ると、明治維新が日本の食文化の変化にどれほど影響を与えたかが衝撃的で、先生は一つの料理「ラーメン」を通じて歴史を遡ることができると気付いたのでした。

 ラーメンについて研究する意義は、ラーメンは民主主義的であると同時に、帝国主義的な食べ物でもあるという点にあるとクシュナー先生は考えます。ラーメンは、数百万の日本人が海外に移住し、数百万のアジア人が日本に移住したからこそ生まれた料理であり、先生は「ラーメンは中国と日本の国際結婚」とも述べています。

 現在、日本全国には18000件以上のラーメン店が存在し、音楽、漫画、ブログ、書籍など、ラーメンに焦点を当てた大衆文化の波が来ています。

 このようにラーメンは政治的、哲学的、経済的、社会的に重要な役割をもつと話されていました。

 

講演会の様子

 

1.ラーメン誕生までの歴史

 明治維新以降の近代日本では、外国からの訪問者を前に恥をかきたくないという思いが強く、不衛生なイメージから距離を置き、衛生に力を入れ、日本を近代“文明国”に見せようとしたそうです。一般庶民は次第に中国料理を楽しむようになっていきます。

 明治初期、様々な麺料理が登場しました。長崎で中国人移民によって考案された最初のオリジナル料理の一つが「ちゃんぽん」でした。「四海楼」という店がその始まりです。

 明治時代の人々は安価で腹持ちのある料理を求めていました。そこで、その日に残った食材と肉を入れ、麺とスープを混ぜて味付けした「ちゃんぽん」が生まれ、大ヒットしました。これらは労働者向けに提供され、次第に麺と肉の濃厚な麺料理に変化しました。

 明治の日本は豊かで近代的でありたいというのが庶民の願いでしたが、大多数の日本人にとって十分に食べることは難しかったのです。その中でこのような麺類が日本人の飢餓を支えました。

 この時代、ラーメンは空腹を満たす安価でカロリーの高い選択肢として知られ、日本における人種の多様化、消費者の需要の変化が相まって全国に拡大しました。その後、中国人労働者向けに「支那そば」が作られ、人気を博しました。肉汁たっぷりの鶏ガラスープをベースに、野菜や肉が含まれた麺料理が後に「中華そば」という呼称で定着しました。都会や農村を回る中国人の行商人達は、「中華そば?中華そば?売ってるぞ?」と歌い、そこから民衆に中華そばは日本の麺とは異なる食べ物だと認識され、人口の拡大に伴い、庶民の定食として定着しました。

 移動式麺類のお店が拡大し、「苦学生」と呼ばれる地方出身の学生や失業者によって運営されたそうです。「苦学生」とは、学問への情熱を持ち、出世を目指す学生のことで、彼らは学費を稼ぐために働かなければならなかったのです。

 ラーメンは当初都会の歓楽街で楽しむ食事でしたが、次第に、深夜、家庭の外で食べられる食事として拡大します。第二次世界大戦後、日本人は飢餓状態に陥り、アメリカはフィリピンの備蓄小麦を日本に贈与することにしました。しかし、当時の日本ではパンがそこまで普及しておらず、1950年代に安藤百福が開発に成功したインスタントラーメンが普及しました。簡単に食べられる高カロリー食品の誕生です。こうしてラーメンは日本を代表する料理となりました。

 

 

講演会司会:橋川教授

 

2.ラーメンが日本の食文化や経済等をどう変えたか

 現在の日本には「ラーメンオタク」と呼ばれる熱狂的なファンが存在します。人気芸能人がラーメンブランドを立ち上げ、雑誌で一風変わった食べ方を紹介したり、また有名な落語家がラーメンの販売や評論に携わり、売れ行きを伸ばすなど、ラーメンは大衆文化と融合して多くの人気を博しています。ラーメン崇拝の聖地、「新横浜ラーメン博物館」も建設されました。ここでは1950年代の東京の屋台街を再現しており、昔ながらの生活様式を体験できます。

 ラーメンは飢餓の時代から成長し、21世紀の現在、雑誌、マンガ、音楽、映画においても賞賛され、日本の大衆文化と融合しています。ラーメンは今や世界に向けて「日本の顔」となりました。東アジアとの交流があったからこそラーメンがあるともいえ、「ラーメンを食べるだけで日本の歴史を消化できる」とクシュナー先生は紹介しています。ラーメンは歴史と近代化、過去150年の日中関係の集大成なのです。

 

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